権利(Right)について
権利=正義
権利というのは、正義なのでありますっ!
福沢の用語では、「権理」としています (『現代語訳 学問のすすめ』)。もっと直接的に、「正義」、あるいは「義理」としてもいいのかもしれない*1。
では、「権利」の源泉とは何なのでしょうか?
……調べてみましたが、よく分かりませんでした。自然権(と権利を規定するところの法律)としか、言いようがないのかもしれません。
ロックの自然権には、元々は(キリスト教の)神の存在を仮定していました*2。
『市民政府論』は、王権神授説への批判として、王権神授説と同じメソッド―つまり聖書をベースに、反駁を行っていって著されたのだそうです。
唯一神無き我々にとっては、どうなんでしょうね。
後述のように、法律の正当性は、辿っていくと主権者である国民に突き当たります。しかし、「国民」が誰であるかは、法律が規定するところです。これでは堂々巡りですね。
それでは、憲法(第11〜13条)ではどうか。憲法はたしかに最高法規として位置づけられています。しかし、これを変更することは可能です。
となるともう、人々の「かくあるべし」という意思が権利の源泉である、としか言いようが無いのかもしません。
権利(権限)と義務(責任)との非対称な関係性 〜法理学的観点
よく世間では、「権利には義務がともなう」であるとか、「義務を果たしてからものを言え」などという言い方がなされます*3。
本当のところ権利と義務の関係とは、どのようなものなのでしょうか?
例として、以下のような場面を考えて見ましょう:
例:あーちゃんがふみちゃんにお金を1000円借りた
この場合、
- あーちゃんは1000円の債務(さいむ;返す義務)をもつ
- ふみちゃんは1000円の債権(さいけん;返してもらう=返される権利)をもつ
となります。
このように、そもそも権利と義務というのは、【凸‐凹】のような非対称な関係にあるのです。【作用‐反作用】のような対称関係ではないのです。
権利と義務が対義語であるのは、対(ペア)であるという意味において、ということのようです。
近代憲法においても、憲法の役割は「国家の義務と国民の権利」を定めるものとされています*4。
よく聞く言葉で「国民の三大義務」として、「勤労の義務」があります。元の条項を見てみましょう:
第27条〔勤労の権利・義務〕
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
うーん。この条文は意味が分からない。論理性の無い悪文ですね。義務を負うのは誰に対してで、誰に対して権利があるのでしょう?ここには詳らかでない。
「労働」でなく、「勤労」としてあるのも気になる点ですね。前者だったら、奴隷制になってしまう。
「すべて国民」とあるので、一人の国民:シンジくんをサンプルとして見てみましょう。
定義よりシンジくんは国民なので、「勤労の権利」を有します。また同時に、シンジくんは「勤労の義務」を負います。
仮にシンジくんの中で、これらの権利と義務が対応しているとすると、もう内面の話でしかなくなってしまう。。。
実際、このような条項があるのは、遅れて近代化された国家だけなんだそうです*5。
また法学的にも、訓示的条項としてのみ解されているようです*6。つまり、法律的にも、思想的にも、無意味ということです。
ギムギム人に成ること勿れ〜義務ばかりが取り沙汰され過ぎ
ここで私が言いたいのは、―少なくとも、自身の精神的態度としては―自分には権利があるのだ、ということを認識すべきである、ということです。
マスメディアで取り沙汰されるような極端な例は別として、一般国民は、権利意識が乏しく羊のように従順すぎやしないでしょうか。「権利と義務の関係」を理解していると言えるでしょうか。僕にはそうは思えないのです。
義務ばかりを感じる前に、大人であるならば「権利がある」ということを、少なくとも知るべきです。それなくして、自立というのは成り立ちません。(「かくあるべし」という)意思を持たないのですから。
「義務を果たしてからものを言え」
「義務を果たしてからものを言え」という言葉が、どのように使用されているか・どのように機能しているか、少し具体的に観察してみましょう。
2009年の年初(1月1日21:00〜23:00)に、NHK総合にて放送されていた「激論2009 世界はどこへ そして日本は」という番組をみていました。出演者の中に勝間和代氏と竹中平蔵氏がおりました。
たしか番組の終わりのほうで、以下のようなやり取りがあったと思います;国民の納税者意識・政治へのコミットメントを高めるためのアイディアとして、発言された勝間氏と竹中氏との間の、以下のような会話でした:
勝間氏:「源泉徴収制度を廃すべき。先進国でやっている国は少ない」
竹中氏:「納税は義務ですよ・・・」
(NHK,『日本のこれから』,2009 Jan.)
さてところで、竹中氏は住民税払ってるんでしたっけ?*7
以上のことから、「義務を果たしてから〜」という言説には、「批判を封殺し、都合の悪いことを糊塗する機能」があると、言えると思います*8。
さて、みなさんご自身の経験に照らして、いかがでしょうか?
「権利には義務がともなう」?
その他、義務と権利についての考察に興味深いものがあったので、ここにご紹介しておきたいと思います。
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- “■[社会]「義務を果たしてからものを言え」” (http://d.hatena.ne.jp/yokores/20070506/p1)
法学的には常識的なことなのかもしれませんが、権利と義務に関して、詳細・明確に述べられた文献がありましたら、教えていただきたいです。
*1:正義と聞くとjusticeも思い浮かびます。そこでOxfordの辞典で引いてみますと、"the fair treatment of people"などと出てきます。一方、rightは"what is morally good or correct"などと出てきます。justiceは、fairnessに重点を置いたもののようですね。
*2:フランスの人権宣言も、神を否定しつつも「至高存在」(superstition)の存在を仮定しています
*3:権限や責任といった語も、よくごちゃ混ぜにして用いられますが、機会があれば別エントリにて論じてみたいと思います
*4:永井憲一 et al.;『新六法 2008』、三省堂、pp. 8
*5:反社会学講座; 『フリーターのおかげなのです』; http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson8.html
*6:Wikipedia; 「勤労の義務」; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99
*7:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2011819.html
*8:類似の機能を持つ言葉として「自己責任」があります