自由について

ホッブズ的自由とロック的自由

自由について法理学、思想史をさかのぼっていくと、ホッブズとロックの二人にぶつかります。どのレイヤーで「自由」を定義するか、という定義語の問題なのかもしれませんが。


まず、ホッブズ的自由から。

「なにをしてもフリーダム!」
[人間の自然状態は万人の万人に対する闘争]

(トマス・ホッブズ1588-1679,『リヴァイアサン』,岩波文庫)



つぎに、ロック的自由。

「万人が自然権を有する。他者の権利を侵さない限りにおいて自由!」
[人間は自然状態において自然権を持つ。自然権が社会的ルールを規定する]

(ジョン・ロック1632-1704,『市民政府論』,岩波文庫)



後者のロック的自由の考えは、アメリカ独立宣言経由で、わが国の自由のあり方にも多大な影響を与えています:わが国近代化の父である福沢諭吉の著書(たとえば『学問のすすめ』など)を読むと、如何に影響されているかがわかります。また現在の日本国憲法にも、その精神は生かされています(日本国憲法 前文)。


付言すると、自由と権利(自然権)という概念は、隣接していることが伺えます。
常識的に考えても、ロック的自由の定義はしっくりくる定義だと思います*1


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*1:ところで「新自由主義」の「自由」はどちらの自由なんでしょうね?

権利(Right)について

権利=正義

権利というのは、正義なのでありますっ!
福沢の用語では、「権理」としています (『現代語訳 学問のすすめ』)。もっと直接的に、「正義」、あるいは「義理」としてもいいのかもしれない*1


では、「権利」の源泉とは何なのでしょうか?
……調べてみましたが、よく分かりませんでした。自然権(と権利を規定するところの法律)としか、言いようがないのかもしれません。


ロックの自然権には、元々は(キリスト教の)神の存在を仮定していました*2

『市民政府論』は、王権神授説への批判として、王権神授説と同じメソッド―つまり聖書をベースに、反駁を行っていって著されたのだそうです。


唯一神無き我々にとっては、どうなんでしょうね。
後述のように、法律の正当性は、辿っていくと主権者である国民に突き当たります。しかし、「国民」が誰であるかは、法律が規定するところです。これでは堂々巡りですね。


それでは、憲法(第11〜13条)ではどうか。憲法はたしかに最高法規として位置づけられています。しかし、これを変更することは可能です。


となるともう、人々の「かくあるべし」という意思が権利の源泉である、としか言いようが無いのかもしません。

権利(権限)と義務(責任)との非対称な関係性 〜法理学的観点

よく世間では、「権利には義務がともなう」であるとか、「義務を果たしてからものを言え」などという言い方がなされます*3
本当のところ権利と義務の関係とは、どのようなものなのでしょうか?


例として、以下のような場面を考えて見ましょう:
例:あーちゃんがふみちゃんにお金を1000円借りた

この場合、

  1. あーちゃんは1000円の債務(さいむ;返す義務)をもつ
  2. ふみちゃんは1000円の債権(さいけん;返してもらう=返される権利)をもつ

となります。

このように、そもそも権利と義務というのは、【凸‐凹】のような非対称な関係にあるのです。【作用‐反作用】のような対称関係ではないのです。
権利と義務が対義語であるのは、対(ペア)であるという意味において、ということのようです。


近代憲法においても、憲法の役割は「国家の義務と国民の権利」を定めるものとされています*4


よく聞く言葉で「国民の三大義務」として、「勤労の義務」があります。元の条項を見てみましょう:

第27条〔勤労の権利・義務〕
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

うーん。この条文は意味が分からない。論理性の無い悪文ですね。義務を負うのは誰に対してで、誰に対して権利があるのでしょう?ここには詳らかでない。
「労働」でなく、「勤労」としてあるのも気になる点ですね。前者だったら、奴隷制になってしまう。


「すべて国民」とあるので、一人の国民:シンジくんをサンプルとして見てみましょう。
定義よりシンジくんは国民なので、「勤労の権利」を有します。また同時に、シンジくんは「勤労の義務」を負います。

仮にシンジくんの中で、これらの権利と義務が対応しているとすると、もう内面の話でしかなくなってしまう。。。


実際、このような条項があるのは、遅れて近代化された国家だけなんだそうです*5
また法学的にも、訓示的条項としてのみ解されているようです*6。つまり、法律的にも、思想的にも、無意味ということです。

ギムギム人に成ること勿れ〜義務ばかりが取り沙汰され過ぎ

ここで私が言いたいのは、―少なくとも、自身の精神的態度としては―自分には権利があるのだ、ということを認識すべきである、ということです。

マスメディアで取り沙汰されるような極端な例は別として、一般国民は、権利意識が乏しく羊のように従順すぎやしないでしょうか。「権利と義務の関係」を理解していると言えるでしょうか。僕にはそうは思えないのです。


義務ばかりを感じる前に、大人であるならば「権利がある」ということを、少なくとも知るべきです。それなくして、自立というのは成り立ちません。(「かくあるべし」という)意思を持たないのですから。

「義務を果たしてからものを言え」

「義務を果たしてからものを言え」という言葉が、どのように使用されているか・どのように機能しているか、少し具体的に観察してみましょう。


2009年の年初(1月1日21:00〜23:00)に、NHK総合にて放送されていた「激論2009 世界はどこへ そして日本は」という番組をみていました。出演者の中に勝間和代氏と竹中平蔵氏がおりました。


たしか番組の終わりのほうで、以下のようなやり取りがあったと思います;国民の納税者意識・政治へのコミットメントを高めるためのアイディアとして、発言された勝間氏と竹中氏との間の、以下のような会話でした:

勝間氏:「源泉徴収制度を廃すべき。先進国でやっている国は少ない」
竹中氏:「納税は義務ですよ・・・」
(NHK,『日本のこれから』,2009 Jan.)


さてところで、竹中氏は住民税払ってるんでしたっけ?*7


以上のことから、「義務を果たしてから〜」という言説には、「批判を封殺し、都合の悪いことを糊塗する機能」があると、言えると思います*8


さて、みなさんご自身の経験に照らして、いかがでしょうか?

「権利には義務がともなう」?

その他、義務と権利についての考察に興味深いものがあったので、ここにご紹介しておきたいと思います。


法学的には常識的なことなのかもしれませんが、権利と義務に関して、詳細・明確に述べられた文献がありましたら、教えていただきたいです。


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*1:正義と聞くとjusticeも思い浮かびます。そこでOxfordの辞典で引いてみますと、"the fair treatment of people"などと出てきます。一方、rightは"what is morally good or correct"などと出てきます。justiceは、fairnessに重点を置いたもののようですね。

*2:フランスの人権宣言も、神を否定しつつも「至高存在」(superstition)の存在を仮定しています

*3:権限や責任といった語も、よくごちゃ混ぜにして用いられますが、機会があれば別エントリにて論じてみたいと思います

*4:永井憲一 et al.;『新六法 2008』、三省堂、pp. 8

*5:反社会学講座; 『フリーターのおかげなのです』; http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson8.html

*6:Wikipedia; 「勤労の義務」; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99

*7:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2011819.html

*8:類似の機能を持つ言葉として「自己責任」があります

正当性について

自由、権利と見てきました。
しかしそれらが社会において有効に機能するには、突き詰めて考えていくと、
いろいろなレベルでの「執行」が必要となります。理念や紙に書かれた文字が
単に存在するだけでは、現実社会において効力を持ち得ませんから。


では、執行は誰によってなされるか?行政機関や、究極的には司法機関ですね。ではそれらの執行―権力―が正しいことを担保しているものは、何なのでしょうか。

以下では、国体が民主制かつ法治主義である場合のそれについて、基本的な考えをご紹介してみたいと思います。

権力が正しいことの根拠は(権力の正当性)?

これは、国家の主権者である国民に、信託された国会議員によって、
制定された法によって、執行されるから*1のようです。。。ハルヒさん

                      , - ─- 、_
                /        `丶
                rー‐<::/ ン-―ー- 、   、 \
           {(こ 〆.:::/  ____ \ ヽ..::::ヽ
           __/'´/  〃7了.:.:.:.:.:.:.:.:`ヽ.j ::ヤ¬寸
         /,イ>/ .:::/,':::{:::::!:::::::::::::::::ヽ ::|:. ::::Vヽ_,イ
         レ/,イ ::/ :{:ハ\{ ::、::ヽ ::::::}::_|_: :::::l >::|
          {/::| :!{.::ィ'f坏ト\{ヽ ,><ム:!:::::::: Kヽ:ト、
            |::::ヽ::i:ヽi. r'_;メ  ヽ´ イ圷ハ|::::::::::|\/ヽ>
            |i:::::::トl::ハ.     ,    r';ン´j::::::::: l: V
            |i::::::::!:::: ヘ  {>ーァ   /:!::::::::/::/
            lN:ヽ:ヽ::',:::ヽ、ヽ _,ノ  ,.ィ::/::::::/ /
              ヾ /}::}八::::ヽ>.-‐か/7::/∨
          r<¨ リ\`ヽ、\__ {  〉/イ l  )}
          f⌒ \ \ヽ  )' \ニニ∧ | |!彡ヘ
          |    \ ヽム    ヽ‐' .| | }ヘ,__,イ
         r-ヽ     ̄ )\     Vrj/ ̄ヽ ヽ
         |  \     // /)ミ ー-∨   / ̄ ヽ
         |   (>―‐'/ /勺ヽ¨ア    /    }
         |   \三三‐'ノ ^ヽ/   /-―一 '


従って、たとえば以下のようなものは原理的には、不当なものといえましょう:

  • 国会議員以外によってつくられた法
  • 選挙の争点と真逆のことをする内閣
  • 一部特定の集団に過剰に有利(もしくは過剰に不利)な制度

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*1:日本国憲法 前文

のぞまれる社会システムのアーキテクチャ要件

機能要件として押さえるべきポイントとして、大きく分けて3つあると思います: まず、NHKを淘汰するような機能が求められます。また、システム全体としてNHKを生み出してしまうような歪・不公平な権利バランスといったものは排除されており、「よい設計」である必要がありますね。そして、当然のことながら、よい設計には、社会的あるいは産業的によい効果が期待されるところです。


以上を踏まえると、アーキテクチャ要件として、次のようなものが考えられると思います。

  1. ブラック企業が確実に淘汰されること
  2. 透明・公平・公正であること
    1. 情報の開示
    2. 権利バランス
    3. 機能すること
  3. わが国の産業の発展・持続性に資すること


社会だって、一種のシステムです。うまく動作しなけりゃ直せばいいし、無いなら作ればいい。エンジニア的には、そういうことですね。


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派遣制度の悪用例

では、現実はどうなのでしょう?
ここでは、IT業界に蔓延している業態、派遣会社というものにフォーカスしたいと思います。

少なくとも、僕の見聞きした限りにおいて、派遣会社=ブラック企業というのは、恒等式のように思えるわけです。派遣先での就業条件も知らされないし、ピンハネも6割7割がザラです。またこれまで述べてきたとおり、IT業界は偽装請負偽装派遣・多重派遣が横行している状態*1です。


のみならず、派遣事業を利用したビジネス・モデルには、ほとんど詐欺商法といえるものも存在しています。ここではそんな派遣制度を悪用した詐欺商法ビジネス・モデルについて、派遣制度と隣接した制度である職業紹介事業も含めて、紹介してみたいと思います。

(ここでご紹介するモデルは、ソースにおいて直接的には他業界であるものを含みます。類型としてこのようなものが存在するということを、押えておいてください)

有料職業紹介事業を悪用したピンハネ・ビジネス・モデル


これは、「一日単位の職業紹介を繰り返す」ことで、毎日給料の一部が紹介会社に搾取される仕組みです。。。意味分かりますかね?
詳しくは、笹山尚人 著『人が壊れてゆく職場』光文社新書を、参照ください。

無料職業紹介事業を悪用したピンハネ・ビジネス・モデル


知らない間に、派遣社員になる例です。
デルの本社で面接し、デルの名刺も持っていたのに、知らない派遣会社に雇用されていたというお話。。。http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/11/27100632/ を参照ください。

特定労働者派遣制度を悪用したピンハネ・ビジネス・モデル


これも知らない間に、派遣社員になる例です。
正社員で採用されたはずが、いつのまにか派遣社員になっていた、という話。


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*1:行政当局は、コレを知っていて放置しています…(#^ω^)

派遣制度の改正案

以上のような現状を踏まえ、アーキテクチャ要件を実現するためには、現行の派遣法は改正されるべきだと考えます。具体的には、下記のような点についてです:

  1. 情報の会社自らによる公開義務化
  2. ピンハネの法定制限
  3. 労働諸法違反時の厳罰化
  4. 労働者への補償(罰金の半額)
1.情報の会社自らによる公開義務化について

各種情報(単価、労働条件、契約、派遣事業報告書・決算書等公的文書)を、監督官庁、会社(派遣元・先)自らが一般公開することを、法定義務化(厚労省 平20告示37号の拡充+法制化)

派遣会社は、労働局に対して『派遣事業報告書』(以下、報告書)というものを提出することになっております(派遣法第23条)。

で、報告書や決算書、単価などといったものは、派遣労働者の求めがあったら、開示しなければならないことになっております(厚労省 平20告示37号 13.情報の公開)。しかし、このルールは周知されているといえるでしょうか。言えない。また、派遣会社が自らするとも思えない。
だったら、自ら開示するように法制化すべきです。

また、開示された情報が正しいかどうか裏を取るために、派遣先会社・監督官庁にも確認できるようにせねばなりません。なんで派遣事業の一番当事者である労働者が、蚊帳の外なんでしょうか?

2.ピンハネの法定制限について

派遣会社は、事実上、職業紹介(案件の紹介)の機能しか果たしていないです。
つまり、顧客へ提供している付加価値(派遣労働者の単価の源泉)のほぼ100%は、技術者の労働力なのです。派遣会社の主たる業務=営業は、単なるコスト(顧客獲得コスト)です。

ところが、派遣会社においては、上記情報の公開どころか、職安法・労基法・派遣法等最低限の法律さえ遵守されていることが稀なのです。法システムが機能していない。
現行の法制は、このような腐った派遣会社を、市場原理から保護し、その生き残りを助けているといっても過言ではないでしょう。逆に言えば、市場競争のしわ寄せが、技術者に過剰に押し付けられているということです。

競争から逃げるのであれば、諸外国並みのピンハネ率に法定制限すべきでしょう。

3.労働諸法違反時の厳罰化

現行のシステムでは、刑罰(罰金刑)が定められているものの30万、40万。多くても300万などといった額です。
これは抑止力としても機能していません。このような定額かつ小額の絶対値ではなく、売上の数%というような、相対値であるべきでしょう。

4.労働者への補償(罰金の半額)

刑罰が定められているにも拘らず、ほとんど機能していない。
派遣会社への「指導」などという、監督官庁のさじ加減のみで決められるのは、どうなんでしょう?
なんで、一番の当事者である派遣労働者は、蚊帳の外なんでしょうか。

派遣法等の直接的な被害者である労働者が、全然救済されていないことについては、以下が詳しいです:
(志位和夫(日本共産党) ;予算委員会質疑,衆議院; 2008 Feb. 8th)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2353050


罰金刑を規定しているということは、その実現に国(監督官庁)が、保護法益を守る責任を有しているということと、考えられます。で、現状その責任を放棄していると。捨て身の労働者の告発によって、かろうじて法システムが機能する(こともある)というのが、実情なわけです。

このようなことでは、困ります。なぜ、公法を守らせるために、労働者が過剰なコストを払わなければならないのでしょう?罰金刑は、国と労働者で折半するのが公平だし合理的です。


以上のような4点の改正によって、実のある「需給の調整弁」たり得るのではないでしょうか。


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まとめと提言

  • 我々は奴隷ではありません。自由と権利を持った、国家の主権者です。
  • 現状の派遣制度は、技術者にとっても糞です。NHK(日本閉塞感協会)をデバッグ+リファクタしましょう
    • 誰にとっての「需給の調整弁」なのか。そこには技術者(を含めた労働者)の視点が、圧倒的に欠けています。
    • 実のある「需給の調整弁」を実現することにより、社会リソース(人的資本)の最適化がのぞめます。ブラック企業自然淘汰されることでしょう。
    • 技術のドメインに、資本を取り戻すことにもなるでしょう。これにより、技術先行型の会社の経営や起業もやりやすくなることでしょう。
  • 次世代のためにもできることからはじめましょう
    • 個人でできること
      • 自分・家族との時間を大切に
      • 勉強しましょう(簿記、確定申告、労働法会社法が自分の生活にも関わっているので、とっかかりやすいのではないでしょうか)
      • Blogをかけ!
      • 勉強会に参加☆
    • 余裕のある方向け
      • さまざまな白書・海外事情などの研究
      • メディア、当局(厚労省労働局など。偽装請負偽装派遣関係は需給調整事業部のようです)、政治家とコミュニケーションをとってみる

法、社会制度、意思〜「泥のように働く」社会の変革の可能性・方向性〜

タイトル名は、LT時と微妙に変えました。*1 *2

はじめに謝辞

7X会に参加された方々、おつかれさまでした。
会場についてから、僕のTypePでパワポが開けないことが発覚して泣きそうになりました。しかし、こしばさん(id:bash0C7)のご好意により、PC(他の方のPCだとなぜか開けるのです)を貸していただけることになり、本当に助かりました。ここに感謝いたします。

また、前回に引き続き7X会を主催されたござ先輩(id:gothedistance)、やましろさん(id:Yamashiro0217)を中心とされる皆さま、また今回会場をご提供いただいたGREE様(http://www.gree.co.jp/)に感謝いたします。

LTは肝心なところについて発表できませんでしたので、Blogバージョンで書いていた・・・らキリがなさそうな気がしてきましたのでw、もう途中でものっけちゃいます。後で手直しする〜☆はてな慣れぬ。

LTについて、基本的にネタ系が多く笑ってばかりでしたが、いくつか壺にはまったものがありました。いろんな意味で。それについては、別エントリにて感想をば。

Blog版はじめに

さて、LTでは肝心の箇所を発表することができませんでした。コレは単に、私の準備不足に帰せられることなのですが、最後にいくつかいただいた質問の中で「個人ががんばるしかないの?」といった趣旨のご質問がありました。(字句は違うかも)
この質問に対して、あの場では個人でできる事項について回答してしまったのですが、実はその質問こそが、今回のLTの最重要のテーマのうちのひとつだったのでした。本当の回答はこうです:「派遣制度を再設計すればいい


そこでここでは、LTで発表できなかったその再設計(改正)案も含めまして、Blogの形式で改訂・増補したいと思います。
はてなにあまりなれてないこともあって、つたない面もあるかもしれませんが、読んでいただけたら、また本稿がわが国の産業やIT業界、技術者・あるいは技術に関わる者として生きる上で、何かを考えるきっかけになったら幸いです。


あと、私は法学とその周辺の学問について、専門の教育を受けているわけではないので、専門的見地から見ておかしなところがあるかもしれません。ご留意ください。コメントもお待ちしてます。


それでは、Blog版Agenda からどうぞ。

*1:タイトル名に関して、次の本にインスパイアされました:Jared Diamond原著, 倉骨 彰翻訳;『銃・病原菌・鉄』,上・下;草思社,2000年9月

*2:IPAイベントにて 「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論”, http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html

I.理論編

前章で挙げましたこれらの諸問題について、まずは原理的な面から、批判的に確認したいと思います。


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最後にご紹介したい言葉

カーストが存在するということは,
 カーストを意識したインド人の
 主観的な要素の上に成り立っている.”
       ――アンドレ・ヴェイユ

(アンドレ・ヴェイユ著, 稲葉 延子(いなば・のぶこ)訳;『アンドレ・ヴェイユ自伝 〜ある数学者の修行時代』,シュプリンガー・フェアラーク東京,1994/11/14 初版第2刷,pp.94)


要は、こういう世界でいいやと思えば、そのような世界のまま、ということなのでしょうね。

LTのきっかけ、気になった記事、問題の背景

今回僕が「LTをやりたい」という気持ちに至ったのは、もちろん前回の7X会が楽しかったことがあるのですが、近頃いくつかのメディアの中で、ある種のものを見たり読んだりする機会があり、気になっていたからであります。

それらの中から3つ、引用してここに示したいと思います。

まず一つ目。

“時価会計と減損会計の波に乗り、アングロサクソン流の「会社は株主のもの」という議論を前提にして、時価総額の大きさを追うような経営を追求すると、その手段として
企業の資産を軽くするための手法を提供する産業、たとえば人材派遣業やEMS(製造工程に特化した請負工場)やリース業(法改正については50ページ参照)は順風満帆となります。

(原丈二,『21世紀の国富論』,平凡社,2007 Jun.;pp.58)


次。日経はこのネタが好きなのか、同様な内容を何度か目にしたことがあります:

厚労省の 主流は法律系の事務官。彼らは昔ながらのすみ分けにメスを入れるつもりはない。技官の最高ポストは医政局長、医系技官は審議官どまり。事務官は専門官僚を 技官と呼び、技官は事務官を「ホウレイ(法令)」と呼ぶ。人事の不干渉まで決め込んだ二つの王国の間の壁は高く厚い。
 それを決定づけたとされるのが、薬害エイズ事件件だ。今春(私注:2008年)の最高裁技官だった元生物製剤課長の禁固刑が確定したが、上司である事務官の薬務局長は「技官の判断を信じた」と証言し、無罪になった。判断能力のない人がなぜ局長になるのか。技官の間にはそんな不満が今もくすぶる。 ”

(日経新聞,『ザ・厚労省』,2008 Oct. 10th,1面)


3つ目。これは、他のBlogでも言及が見られる有名な論文ですね。


“日本のソフトウェア開発の産業構造には、決定的な欠陥がある。ソフトウェア技術者の派遣ビジネスである。”
“派遣指向のソフトウェア会社にとって最大の関心事は、人月単価と、人の稼働率であって、稼ぎが減る開発プロセスの改善や、余計な金を使う技術教育は、できればやりたくない。”
“開発プロジェクトの混乱は、プログラマーにとっては徹夜が続き地獄だが、経営者にとっては収入が増えるから嬉しい。派遣プログラマーは、派遣先から右向け左向けといいようにこき使われ、精神衛生上は最悪であるが、経営者にとって、これほど安全で安易なビジネスはない。”

(松原友夫,『日経ビズテックNo.009、「停滞産業復興計画」』 , “技術、経営、個人の「自立」あるのみ” ; 日経BPムック,2005 Oct;pp.38-47)



絶望したっ!!

  l::::::::::::::::::|_!::lヽ:::::::::ハ::::::::::::::::::::::::::::::::i、::! ノ      腐
  !:::::::::::::::::l-‐ェ!;ト ヽ:::::l ´!:::::::::::::::::::::::::::::l ` ヽ絶産っ 
  l:::::::::::::::::「(;;;)ヽ、__、::レ'´l:::::::::/l、:::::::::::::l   / 望業た
  !:::::::::/l:::l__,,,rタ"゙、;!)、__!::::/ノ 〉、::::::::l   \ し構
   l::::/ lヽ!    _ _   l;/´  ! >、::l   / た造
  ノノlヽ、_!    r――‐┐   /_ノ:::|  /   ! ! に
    l::::::>、   レ,二二ェ!  /i:::::::::::l   ̄ ̄|_     
    l:::/ /::ヽ、 `ー-―-' ,ィ'::::!\:::::l    (ヽ、//\/
    レ' ム-''´lヽ、  _,,./! ゙ヾ!__ヽ!    ヽ´ヽ、ヽ
            !   ̄     レ;'´  |  (,ゝ、 \ ヽ l、
        /| _,,.-/´  ;; .,,,-!  ヽ、 ヽ、 | | ! l
       / 斤'"〇 /´    ,;;:''" _,l_   ヽ ヽ/  l | l
      /; l、」_,,/     '' ゙;;/  ヽ、   〉  `ヽ  l/
      /!,r''´!/  /     ';,/"゙''':;,,,,;;'' \ /     ,!
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Blog版Agenda

はじめに

I.理論編

II.現実社会編


自己紹介はすっとばします

II.現実社会編

前章までで、現状の産業構造やIT業界に蔓延している問題の背景と、問題の提起を行いました。また、自由・権利・権利や権力の正当性といった点について、理論的に確認してきました。

以下では、理論から導かれる、問題を解決するためにあるべき社会システムと、現実の制度へのパッチあての方法について考察していきます。


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おまけ:社会的観点からみた勉強会に参加することの意義

まとめと提言にある「勉強会に参加☆」なのですが、最近以下のようなばずりを見まして。

(笑)この会社ような勢力は、NHK会員に違いないっ!

つまり、勉強会に参加することは、NHK(日本閉塞感協会)に対する圧力にもなるんですよ〜という話。でした。

な〜んでだろ?問題提起、あるいはNHK(日本閉塞感協会)

これらを読んでいるうちに、これまでの技術者として過ごしてきた人生で、なんとなく感じていたモヤモヤ感、疑念といったものが、次第に言語化されてきました。以下にそれらを、荒削りながら問題提起として挙げたいと思います:

  • 技術者は奴隷なの?
  • 付加価値を生産している技術者に、なぜ利益分配されないの?
  • どうしたら【NHK(日本閉塞感協会)】を、改修できるの?

ここで:

社会システム
産業のあり方(産業構造)を規定しているような社会的制約の総体
問題のある社会システム
産業の発展を阻害し技術者を使い捨てにする「社会システム」
NHK(日本閉塞感協会)
問題のある社会システムのひとつで、名前付けられたもの。別名を、「ルサンチマン・システム」。

とします。


NHK(日本閉塞感協会)は、現代社会において、どのように現れるかというと:

  • 雇用制度:職能給=年功制
  • 社会制度:封建制的ななにか
  • 経済制度:統制経済的ななにか
  • 政治制度:官僚内閣制
  • ビジネスの現場:隠蔽・捏造・恫喝・無恥・欺瞞 (これらを感じたことの無い社会人は、しあわせです)

といった形で現れるのですっ!


NHKの性質は、

  • 既存の大企業か中間搾取者に極端に有利
  • 専門家を冷遇する仕組み
  • 個人の権利を極小にさせ、後ろ向きの主張しかできなくさせる仕組み

といったものです。